魔裟斗の歴史の完結編になります。
このシリーズはK-1MAXのトップファイターである魔裟斗選手が
現役時代どういった闘いをしていたかを物語形式で書いたものです。
シリーズものなので、①から順に読んでいただくと楽しめますよ。
では魔裟斗が二度目の世界王者になった完結編に行きましょう。
2006年 初心に帰る
2006年は魔裟斗 も勝負の年だと考えたのだろう、
珍しく日本トーナメントでのワンマッチからスタートを切った。
相手は豪州のマシンガン、イアン・シャファー 。
この試合の煽りVで魔裟斗は、
「昔の俺の試合はおもしろかった。ガムシャラだったから」
と発言。
しかし試合では2005年同様に慎重な闘い方をしていた。
攻め時には一気に攻める上手さで3-0の判定で完勝。
まずまずのスタートを切ったといえる。
迎えた世界一決定トーナメント開幕戦。
相手はMAX最短KO記録をつくり勢いに乗っているレミギウス・モリカビュチス。
スピードが速い魔裟斗よりもスピードがあるレミーガは苦手な相手だと思われていた。
試合開始直後から一気に攻めるレミギウスを持ち前のディフェンスで上手く交わし、
カウンターの攻撃を当てる魔裟斗。
明らかに去年までの闘い方ではない。
そして2Rに入り、ボディへのパンチと前蹴りでフラついたレミギウスに魔裟斗がラッシュ。
タオルが投入され魔裟斗のTKO勝利。
先のコメント通り、初心に戻りガムシャラに攻めた魔裟斗であった。
こうなると二度目の優勝をファンも期待した
2006年世界一決定トーナメント決勝戦。
一回戦は小比類巻貴之 との因縁の対決。
しかし下馬評では魔裟斗の圧倒的有利だったが、
意外にコヒが善戦したものの、3Rにダウンを奪い完勝。
準決勝の相手は2005年のMAX世界王者アンディ・サワー 。
タイプの似た二人だけにコンビネーションの応酬となったが、
3R終了間際に魔裟斗がフラッシュダウンし、判定負け。
魔裟斗の2006年は幕を閉じた。
2006年魔裟斗は27歳。
年齢的にも厳しいと自身が思ったのだろうか。
勝つためには04、05年の様な闘い方ではなく、
世界を獲った2003年の様なガムシャラさが必要だったと気づいたのだろう。
魔裟斗がスランプから抜け出した年だったと言える。
2007年攻める 2008年悲願の王者へ
魔裟斗の2007年は、今年から4月に移動した世界王者対抗戦改め、
世界最終選抜からスタート。
相手はヨーロッパの中堅オーレ・ローセン 。
この試合、魔裟斗は最初から得意早いハンドスピードのコンビネーションを積極的に出して、
終始攻めていく。
相手を圧倒しての勝利を挙げた。
2007年に入り、またファイトスタイルが変わった。
と言っても2004年の様に消極的な変化ではなく、超攻撃的な変化を遂げた。
もともとパンのコンビネーションが得意な魔裟斗だが、
そのスピードが今年に入りさらに上がった。
その結果、開幕戦ではHERO’S王者J.Zカルバンに何もさせず完勝。
迎えた2007年世界一決定トーナメント決勝戦では、
一回戦に2004年&2006年MAX世界王者ブアカーオ・ポー.プラムック を指名し、
試合ではダウンを奪い、その後もパンチを当て続け完勝。
準決勝は新鋭のアルトゥール・キシェンコ 。
ブアカーオ戦ですでに足を痛めていた魔裟斗だが、
足を狙われてグラついても前に出て攻め続け得意の左フックで2RKO勝利。
2年ぶりに決勝に進んだが、蓄積した足のダメージをアンディサワーに狙われTKO負け。
結果的に世界王者にはなれなかったが、魔裟斗は来年に大きな手ごたえをつかんだ。
2008年は世界一決定トーナメントFINAL16からのスタート。
相手は南アフリカボクシング王者ヴァージル・カラコダ 。
試合前魔裟斗は、
「打ち合って倒す。」、「前まで打ち合いは怖い部分もあったけど今は楽しい」
と何か吹っ切れた感じのコメント。
試合は2007年の試合同様、魔裟斗が序盤から積極的にパンチを出して優勢に試合を進める。
そして3Rに右フックをクリーンヒットさせ見事なKO勝利。
試合後のマイクでは「見ててよ、今年は絶対世界王者になるから」と発言。
世界一決定トーナメントの組み合わせが決まり、
迎えたFINAL8、ドラゴ を完封し、残すは準決勝と決勝。
10月1日、運命の世界一決定トーナメント FINAL
準決勝の相手は急成長を遂げた因縁の佐藤嘉洋 。
魔裟斗に対して執拗に対戦要求をしていた男だった。
他の選手からの対戦要求をひどく嫌う魔裟斗にとっては負けられない試合であろう。
試合はお互いが一歩も引かず激しい打ち合い。
佐藤が意外にキックよりもパンチを出す数が多い。
3Rに入りパンチの打ち合いで佐藤が魔裟斗からダウンを奪う。
しかし、ここから魔裟斗は猛反撃し本戦はドロー。
延長戦ではスタミナの切れてしまった佐藤に魔裟斗は積極的に攻め判定勝利。
決勝戦は昨年の準決勝で顔を合わせたアルトゥール・キシェンコ。
21歳と若いだけあってサワーを倒すほどの急成長をしていた。
この試合にすべてをかける両者だが、魔裟斗が優勢に試合を進める。
しかし2Rにまたもパンチの打ち合いから魔裟斗がダウンを喫する。
だが、ここで心が折れないのが今年の魔裟斗だった。
準決勝同様に猛攻撃を仕掛け、本戦をドローに持ち込むと、
延長戦ではアッパーやローキックで優勢に試合を進め判定勝利。
準決勝、決勝とダウンを奪われながらも延長判定で勝利し、
4年ぶり悲願の優勝を果たした。
2007年に入ってからの心境の変化
2004年時には、「一番良い闘い方は相手の攻撃をもらわないこと」とコメントし、
アウトボクシングにスタイルチェンジした魔裟斗。
2008年には、「打ち合って倒す、打ち合いが楽しい」と言って
全試合積極的に攻めていた。
このコメントとファイトスタイルの変化から、
消極的な意識から積極的な意識への変化がうかがえる
また、
「弱い相手とやりたい。」と言っていた2003年と、
「強い相手とやったほうが優勝への近道」とコメントした2007年を比べてみても、
その心境の変化は明らかであろう。
何が魔裟斗を消極的から積極的な意識へと変えたのかは定かではない、
矢沢心と結婚したのが原因か、もしくはバダ・ハリの影響か、
もしくはその他の要因かはわからないが、
この変化があったからこそ、今年の世界一決定Tの準決勝と決勝で、
ダウンを奪われた後の猛攻撃があったのだと僕は考えました。
そしてこの積極的な意識こそが、
全日本キックを脱退しフリーになった時や、
2003年に世界王者になった時のカリスマの正体だったのかなと思います。
まとめ
魔裟斗の歴史を3つの記事に分けて書いてみました。
この記事は2008年のMAX最盛期に
しょうへーが大会を見て書いた記事のリメイクになります。
YouTubeを始めた魔裟斗選手を見て懐かしくなってまた書きました。
魔裟斗選手の生きざま、考え方は本当にカッコ良いですね。
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